「今のケルンのお天気は?」 「ベルリンの今のお天気は?」 <ちょっくら自己紹介> 旧タイトルは「ベルリン、りんりん♪」「ケルン、るんるん♪」「ムサシノ、のんのん♪」。2004年1月からベルリンで、2006年10月からはケルンで、2008年3月末からは東京で、そして2009年5月からは沖縄でドイツ人生化学研究者の相方と(気の抜けた)かけ合い漫才をする人生。趣味は映画と欧州サッカー観戦と食べること!・・・というわけでそうした話題が多いはずだったんですが、実際はなんでもアリ、役立たずな日々の記録です。 コメント、リンク、トラックバック歓迎ですが、特定の販売サイトへの誘導や本文の内容と関係ないものは削除させて頂くことがありますのでご了承下さい。 ピクトさん観察研究の総本山 日本ピクトさん学会 ドイツにいた頃に出かけた旅の記録。 密かな「離れ」(別館)です。 よろしければご覧下さいね。 こちらからどうぞ。 (c)akberlin2004-2009 All rights reserved. カテゴリ
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バーミンガムではHご夫妻の他にやはり父と仲の良かったN氏にも
お目にかかりました。以前に彼の娘のヘレンがオーストラリアに行く途中に 日本に寄って、一緒に観光をしたことがあります。 「ヘレンは10歳年下のフランス人と結婚して、フランスのリヨンから東へ 行ったあたりに住んでるよ。子供が三人。」 と聞いてびっくり。ヘレンの兄のマシュウは自転車競技に燃えて、自分で 自転車ビジネスまでしていましたが「ヨメに逃げられてね・・・。今は男友達の ところにとりあえず転がり込んだ・・・」という話やら「名付け子でもある甥っ子が スコットランドで結婚したんだけど、男性同士でね。」 イギリスではたしか数年前に同性同士の結婚、というか生涯を誓った関係が 法的に認められるようになり、有名なところでエルトン・ジョンもこういう「結婚」を しましたが、一般にも増えてきているんですね。 さてバーミンガムから一挙に北上してイングランド北西、湖水地方の小さな町、 アンブルサイドに着きました。 ![]() ![]() この下を川が流れています。 ![]() 自然が有名なところ。普段は「遠足」もどきをすることのない相方とワタシも ハイキングです。 ![]() いたのですが「密航者」もいました。↓ ![]() ![]() 詩人ワーズワースの生家に近い小さな湖、グラスミアまでの道。 名前はなんともおどろおどろしいですが途中、ライダルウォーターという 小さな湖も臨める風光明媚なコースです。 19世紀半ばまでアンブルサイドには教会がなく(上の写真の教会は1850年から 54年に建てられたとのこと)、お葬式にはワーズワース家の墓所もある隣村、 グラスミアの教会まで柩を運ばねばなりませんでした。起伏が少なく、柩を 何人かで担いで運びやすいルートということで「棺桶道」の名がついたようです。 この石はその途中で棺桶を置いて休んだ場所、ということでした。 ![]() ともにこのケーキを食べて 「いやぁ、旨かった、懐かしい味じゃった。わしのばあさんが焼いたケーキの 味を思い出した。」 というと、お店のオーナーらしき若い女性が 「まあ、それはそれは。私も祖母のレシピで作っているんですよ。」 なんかいいよね、こういうの、と思わせる旅のひとコマでした。 10月5日(月):
バーミンガムでは父の友人でバーミンガム大学工学部のプロフェッサー だったH氏ご夫妻にお世話になりました。 「(君のオヤジは)いいヤツだった、本当に・・・残念だよ。でもこうして君が 来てくれてうれしいよ。」 と温かく迎えてくださいました。 写真はないんですけど、ディナーはラムロースト、手作りミントソース添え、 でした。ミントソースはラムにつきもので、イギリスっぽいものの代表格、 ドイツ人はラムにミントと聞くと誰しもがすぐに「うげぇ」って言うんですが、 庭で栽培したミント入りのソース、とっても美味しかった!相方も喜んでました。 H氏ご自身も学会などで何回か日本に来ています。もう何十年も前に一緒に 食事をした時の写真を出してきて「ホレ、この頃、君はまだ高校生だったか?」と 見せてくれ、相方も初めて見るワタシの若い頃の写真に「おお!(痩せている!)」 だった様子・・・。 H教授はすでに退官されていますが、現在、クリーンエネルギーとして注目の 水素燃料で動くカナルボートの大学のプロジェクトに参画していて、これが新聞 にも紹介されるほどの一大プロジェクト、資金調達からPRまで色々な部分で まだまだご活躍のようです。 ![]() 音も静か、CO2も出さない、といいことづくめ。ちょっと見えにくいかな? カナルボートというのはもともとはイギリスの運河を運行する細長いボート。 狭い運河ですれ違うため細長く出来ているのです。 今は何かを運搬する、というよりはキャンピングカーみたいに改装された ボートをレンタルして、のんびり、長い時には数日かけて運河を上り下りするのが イギリス人の楽しみの一つ。普通はガソリンを入れてエンジンで走らせます。 イギリス人はこのカナルボートが大好きで、運河を巡る旅行の他に、運河沿いに 船を固定して住んでたりする人もいます。ロンドンにもリトル・ヴェニスという 運河があって、ヴァージングループの会長、リチャード・ブランソンは昔、ここで カナルボート暮らしをしていたとか聞いたことがあります。 H教授、せっかくだから、と大学構内からバーミンガム中心部までこの水素ガス カナルボートに乗せてくださいました! ![]() チョコレート、キャラメルの製造会社、キャドバリーの工場もあり昔はカカオなどを やはり運河で運んでいたそうで、H夫人のお父さんは運ばれてくる荷の積み降ろし をしていたとか。「チョコレートの甘い匂いがそこら中にふんわり漂っていてね・・・」 と懐かしそうに話していました。 ![]() この庭もよく手入れされていました。 この写真では半分くらいしか写っていませんが、かなり奥に深い庭でした。 この庭の奥の方に鶏小屋あって、そこから鶏を出して庭を走り回らせていたら 雌鶏が一羽、キツネに食べられてしまったのだそうです。(この記事参照) この庭、イギリスの典型的なものだと思います。右下の方に見える蜘蛛の巣みたいな 形の物干といい。睡蓮の浮かぶ池(画面下方)の隣に立っているのはソーラーパネル。 H教授はクリーンエネルギー研究に熱心な方ですから、自宅屋根の上も一面ソーラー、 温水器も夏の間は電力に頼らなくてもいいくらいたっぷりお湯がわかせるそうです。 父は「イギリスでは一年に364日、雨が降る」と豪語?していましたが、ここ数年の 地球規模の気候の変化はイギリスにも十分な晴れの日を提供するようになった ようで・・・。それはそれで、水不足が心配になったりもするようですが。 10月4日(日):
相方がイギリスに行くなら古城が見たい、と行程にローマ遺跡以外に、お城もいろいろ 入っていました。欧州で育った相方は子供のころ、レゴブロックのRitterburg(騎士が 住んでいるお城)が欲しかったのだそうです。上に兄が二人もいて、高価なオモチャ は買ってもらえなかったようであくまでも夢だったみたいですが・・・。 そんな経緯があったからでしょうね、イギリスで最大の集客数を誇る古城、ウォリック・ カッスルに相方の期待は高まりまくってました。ところが。 ![]() というか)でしたけど、いまや「中世テーマパーク」状態。マダム・タッソーの蝋人形館 と同じ会社の経営らしく、かなりお子ちゃま向け遊園地に近いノリ。 マダム・タッソーだけにお城の中にも蝋人形を配して、ちょっとごちゃごちゃした印象。 それに苛ついてかなり高い入場料だったにもかかわらず、相方は 名高い地方出身のドイツ人にもかかわらず、モトを取ろうともせずに早々に退散を 決め、結局、滞在わずか30分ほどでした・・・。 ![]() でもお城ショックからか、お金を払って生家に入ろうともせず、ただ町をうろうろ、 途中で入ったカフェがそこそこ美味しかったのが救い。 美味しいもの食べさせておけば相方、とりあえず機嫌が直りますから・笑。 ![]() この日はこのあと、バーミンガムへ向かいました。 バーミンガムは1960年代の初めに父が留学していたところです。 50年も前のことになりますが、その当時のバーミンガム大学はまだ学生数も 数千人規模で父の在籍した学科も小規模だったそうです。当時はまだ 珍しかった日本からの留学生をとても温かく迎えてくれたようでそのころの 友達と父は毎年クリスマスカードを交換し、お互いに学会とか出張とかの機会が あれば行き来して友情を育みました。私も父の友人たちに実際に会ったのは ほんの数回ですが、彼らの子供たちもみんな私と歳が近いので、幼い頃から クリスマスカードと一緒に送られてくる写真でなんとなくみんな知っている、と いう感じでした。(大きくなってから日本に遊びにきたコもいました。) いまやその子たちもみんな大きくなって・・・この話はまた次回に続けます。 バースを見に行った日(10月2日)の夕方、バースからさらに西へ、
ブリストル海峡を望む海辺の町、バーナム・オン・シー(Burnham-on-Sea) を目指しました。金曜日の夕方で田舎道は大渋滞。 のろのろ運転が続きます。 わざわざここまで行ったのは私が初めてロンドン郊外でホームステイを した時のホストマザーであるミセスHをお訪ねするためでした。 ミセスHは今から15、6年まえにロンドン郊外からずっと西の外れのこの 海辺の町に引っ越されました。筆まめな方でお手紙は折々に頂いていましたが、 ロンドンから気軽に行ける距離でなくなってしまったため、お目にかかるのは 実に17年振り。 渋滞に阻まれてようやく着いたのはもう暗くなりかけた6時半過ぎ。玄関先まで ご主人とともに出てこられ、お元気そうで一安心、と思いきや 「実は退院したばっかりなのよ・・・そう出なければあなたの好きな シチューでも作りたかったけれど・・・ごめんなさいね。」と。 ここでご紹介した言葉が出てくるわけです。 「人生、いつ何時、どうなるかわかったものじゃないわね。ひと月くらい前 だったかしら、あなたが久しぶりに来てくれるって電話してきた時には何でも なかったの。そのあとすぐ、大腸ガンが見つかって手術。まだ退院したばっかりで 本調子じゃなくて悪いわね。でもこうして来てくれてうれしいわ。また会える日まで 頑張るわ!」 Mrs.Hは幼い頃、キューガーデンズの近くに住んでいたそうで 「その頃は入場料が1ペニーでね。1ペニーでどこかへ行けるなんてすごい!って 思っていたものよ・・・え、今は入場料が13 ポンド!」 そう言って話しているうちにもご近所の方が「アップルケーキを焼いたから」と 持って来られて 「おかげさまでねぇ、ご近所がみんなよくしてくれて、お食事も温めれば食べられる ようにって冷凍してもってきてくれるもんだから、フリーザーがもうパンパン。」 なんて言っていました。自分で焼いたんじゃなくてごめんなさいね、といいながら、 そうしてあちこちから届けられたケーキを3種類、紅茶と一緒に出してくださいました。 また部屋中、お見舞いカードや風船、ぬいぐるみ(英国的お見舞いの品の定番)で いっぱいでMrs.Hがいかに多くの人に愛されているかをあらためて垣間見た思いです。 翌日(10月3日)ははちみつ色の村、と言われるコッツウォルズのチッピング・カムデン、 そして大学町オックスフォードを少し、散策しました。 ![]() ![]() ![]() 深みのある薄茶色に見えたり、淡いはちみつ色に見えたりするそうです。 ![]() さほど遠くありません。これもライムストーンかな。 気が抜けてきましたが、英国旅行記の続きです。おつきあいください。
10月2日(金):ついに来ました、相方の憧れのローマ遺跡、Bath。 ローマ人が「リゾート開発」した温泉地です。 ![]() 重要な教養の一環らしく、英国のみならず、大陸からの遠足の子供も 多かったです。ここにもストーンヘンジのような各国語対応オーディオガイド があって、ワタシは英語を借りたのですが、英語版だと一般向けの他に 子供向けや人気作家、ビル・ブライソンによる解説なんていうのもあって いろいろと楽しめました。 それにしてもローマ人、イタリアからはるばると、電車もバスもない時代に こんなところまできて温泉プールを作ってたっていうのがすごい・・・。 いやもちろん、来るまでに、とか来てから客死、っていう人もいたわけで、 そういう傭兵には葬儀保険みたいなシステムまであって、志半ばにして 亡くなった一兵卒の(保険で建てられた)立派な墓碑も遺跡から発掘されて います。本当に高度な文明だったんだなぁ。 ![]() ビクトリア時代に「それっぽく」再建されたもの。 ローマ時代にはここには水の女神ミネルヴァに捧げられた神殿が建っていたそうです。 イタリアには温かいお湯の湧く「温泉」というものはなく、ローマ帝国中から人々が 訪れる神殿つきリゾートだったそうで日本のそれとはちょっと違いますが、一応、 女湯、男湯なんていう区別まであります。 リゾートの様子は発掘された遺跡と品々からいろいろとうかがい知ることが出来て、 これらの展示もオーディオガイドを聞きながら見て歩く仕組みですが、古代ローマ人の 指輪についていた瑪瑙の石がはがれて排水溝の網に引っかかっていたのなんかは 美しい細工でステキだし、もっと面白かったのは、温泉の源泉に呪いを書いた 薄い金属片を投げ込む、という習慣があったことで「脱衣場で私の服を盗んだ者は 脳までとろけてしまえ」(だったかな)みたいなことがラテン語で書かれたものが 展示されていました・・・書いた人も書かれた人も、今頃こんなとこで観光客に 読まれるとは思わなかっただろうな・・・っていうかそれを最初に解読した人は 大笑いだったんじゃないかしら。 ![]() 水の女神、ミネルヴァに(英語訛りの)ラテン語で祈りを捧げているところ。 かなりドラマティックで、ドイツから修学旅行の女の子たち、ちょっと引き気味です・笑。 でもこのあとで一緒に写真撮ってくださ〜い、ってやってました。修学旅行のノリは いつの時代もどこの国でも変わりませんね。 なんかダレて来た旅行記なのですが、これもイギリス滞在中に
BBCテレビで聞いた話から。 10人ぐらいずつのグループを二つ作り、一つのグループには サインペンを横にくわえさせ、もう一つのグループには縦に くわえさせて、それぞれのグループに同じお笑い芸人の同じ話を 聞かせます。 すると。 横にくわえていた方(=歯を出して笑うような格好)の人たちの方が 縦にくわえていた人たち(=口をすぼめて、口をとんがらせている格好) よりも漫談を面白く聞けた、という。 「今の話、面白かったですか」と聞いてみると口をすぼめていた方は 「んー、まぁまぁって言うところかな。」 なのに横にくわえて、歯を見せる笑顔を作っていた方は 「大笑い!めちゃ面白かった!」 無理にでも笑顔を作るかのように頬の筋肉を上に持ちあげることで つまらないことも少しは楽しくなる、という心理学者の話でした。 眉唾だけど、ちょっとやってみようかな、と思いました。 ただし、日頃から穏やかでにこやかな方はともかく、ワタシみたいなのが 突然ニヤーっと「不思議の国のアリス」に出てくるチェシャ猫みたいに 笑うと「不気味」だと思うので、まずは人前でないところでお試しを・笑。 旅行記の途中ですが、イギリスで聞いていた音楽の話を。
イギリス旅行中、車で移動の間はずっとBBCのRadio1を かけっぱなしでした。(Radio1はWebでも聞けます。 ) 主に最新のヒット曲を中心にかける局なので同じ曲が何度もかかるのですが、 その中でワタシが特に気に入っていたのがこれ。 MUSE / Uprising ・・・地中からテディベアたちが・・・。 かわいいはずのクマちゃんたちの蜂起、反乱・・・まさにUprisingであります。 怖いのか、なんなのかわからなくて笑っちゃう、っていうところが English sense of humour、でしょうか。 MUSEは1994年にイギリスのデヴォン州で結成されたグループとのこと。 デヴォンは前の記事でご紹介した、ワタシとルームシェアしていた アリソンの故郷です。今回は訪れませんでしたが、ワタシも一度、アリソンの 帰省に同行したことがあります。クマたちの叛乱など想像できない、のどかな カントリーサイドでした。 10月1日(木):
![]() ・・・ようやく暗闇の中にぽつんと光る懐中電灯の灯りを頼りにたどり着きました。 ![]() ![]() バーン=ジョーンズのステンドグラスがこの大聖堂内にあったこと。 バーミンガム出身のバーン=ジョーンズ作品は産業革命以降に発展した イングランドの新興都市、バーミンガム、マンチェスター、リバプールなんかに 多いと思っていたので、南イングランドのここで見られたのは意外だったし、 うれしかった。 その次に見に行ったのはストーンヘンジ。謎の巨石群。 ![]() ![]() ありますね。見どころのそばに番号がついていて、その番号を 機械に入れると解説が聞ける仕組み。その解説を聞きながら自分の ペースで見て回れます。貸し出し料金は入場料に含まれていて、 貸し出し所で言語を選んで借ります。 ![]() ![]() ![]() 牛肉の黒ビール煮込みの入ったパイです。 9月30日(水):ロンドン満喫のあと、ヒースロー空港でレンタカーを借りて
最初に向かった先はイングランド南西部のカンタベリー。 英米文学科なんぞと名のつく学科に一度でも在籍してしまうと、巡礼物語の 「カンタベリーテイルズ」は作者のジェフリー・チョーサーの名とともに トラウマみたいに心に刻み付けられるものです。いや、そのトラウマのために 行ったんじゃなくて、やっぱり歴史好きの相方がイングランドのランドマークの 一つだろう、ということで。 ![]() 撮ってみました。 カンタベリー大聖堂を見学したあとは、一路、東へ。 イーストサセックス州のハートフィールド村にある「プー・カントリー」を目指します。 クマと言えばパディントンよりもプー派の私としてはプーとクリストファー・ロビンの 遊んだ百町森(石井桃子さんの名訳・100エーカーの森)に行くことは長年の 夢でした。留学中に一度、行こうとした時には悪天候に阻まれて中止に。 何(十)年ぶりかの挑戦です。 ![]() プー・カントリー観光の案内所も兼ねているお店。プー関連グッズを売っていて、 お茶も飲めます。 ![]() 案内は英語版と日本語版の二カ国語で販売されていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 9月29日(火):
前日、糸の切れた凧だった相方はそれでも見たいものが見られなかった という。心残りになってもいけないので、本日、大英博物館、再訪。 今日はしっかり管理・笑。エジプト、アフリカ、ヨーロッパのローマ時代から のものをいろいろと見て回る。 この日は午後4時にワタシがかつてフラットシェア(ルームシェア)を していたアリソンと会う予定になっていた。 ワタシは2001年9月にロンドン郊外のステキなマナーハウスで行われた 彼女の結婚式に参列したけれども(ちょうど9/11の直後で、大変な時だった)、 ワタシが結婚した時には彼女には写真を添えた事後報告のみだったので 「akちゃんっ、あらかじめ知らせてくれないなんて、みずくさいわーっ!」と怒られて いたのだ。「相方ちゃん連れて遊びに来なさいよっ、いいわねっ。」 ベルリンにいるうちにもケルンにいるうちにもその機会はなかなかなく、 ようやく実現。 ワタシが美術史留学をしていた頃、アリソンはスコットランドヤード(警察)で 指紋分析官としての研修をしていた。今はロンドン・ヴィクトリア駅から電車で 30分ほどのイースト・クロイドンにある移民管轄局へ移って、そこでやっぱり 指紋分析の仕事に就いている。 移民局近くのパブで食事をしながら久しぶりにいろいろと話をした。 ![]() ガモン(ドイツでカスラーと呼ばれる塩漬け豚肉)はやたらと塩っぱかった。 それに山盛りチップス(ポテトフライ)にグリンピース、焼きトマトというのは いかにもイギリスふう。それにチキン、ソーセージに目玉焼きもついて・・・ あ、これで一人前です。 アリソンの話も面白かった。イギリスへの不法移民は後を絶たず、中には一度、 国外退去になった人が名を変え、顔を変え、あげくに薬品で指紋まで消して 再上陸することもあるとか。 「でもね、指紋は一度、薬品で消しても皮膚が再生するとまた元通り、 同じ指紋になるのよ。」 「へぇ〜。」 相方は推理小説やドラマが大好きだからこういう話も楽しいらしい。 「現場調査とかってやったことある?」 「以前は現場と内部での仕事が半々だったけど、今は現場は現場だけ、 内部は内部だけ、になっちゃってね。私は内部に配属になっちゃったから 現場に行くことはないわね。」 「現場って、本当にドラマに出てくるみたいな感じなの?」 「もっとひどいわね。臭いもするし。・・・一度ね、現場の入り口ですばらしく揃った くっきりとした指紋を見つけたのよ。これ以上ないって言うくらいの、人差し指、 中指、薬指、小指。ドアに手をかけた跡。『やった!』って思ったわね。そしたらね、 そのすぐそばにいたアホ警察官が、そこら中、ベタベタ触りまくっててね。 『ちょっと、そこ!何してんのよ!・・・あなた、このドア、その手で触った?』 で、その警察官の指紋を見てみたら・・・ドアのとピッタリ合致してたわ・・・。」 「現場に来たらむやみに触らない、って一般人でも知ってる常識かと思ってたけど。」 「警察官ってアホが多いのよー。あはは。」 豪快なアリソンの話も楽しかったし、やたらと肉の量が多い、パブ飯も なんだかイギリスっぽくてうれしい、楽しい夕べだった。 今はクロイドンからさらに車で40分と言う、カントリーサイドに家を構えているアリソン、 「次は相方ちゃんと泊まりがけで来るのよ、いいわね!」 と・・・本当は一、二歳年下なんだけど、彼女はいつもお姉さんみたいだ。
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